うはw猫の虫www

私と遺跡発掘


遺跡発掘の写真
変な帽子かぶってるのは気にしないでくれ(´へ`;)

これは府中の駅前での発掘現場だ。
右に見える建物が駅だ。
これを撮影した時期は、ここの現場の発掘が終了し、あらかた掘り終わった後だ。
写っている人々は一緒の会社で働いていた仲間で、他に三社くらい同時に働いてた。
それぞれの区間をそれぞれの会社が発掘するわけだ。
これは私の遺跡発掘生活でたった1枚の写真だ。
商用に使わなければ一応写真は許可されているのだが、私はデジカメも使わない人なので、皆で撮った集合写真しか持っておりません。
私が掘った中でも一番大きな現場だった。
ちなみに私は米光さんでも本間さんでもありません。
看板書いたのは私だw


この頃のアルバイトの募集要項を書きますと、

時間 9:00~17:00
時給 900円
曜日 月~金
休日 雨天・土・日・祝日・夏季連休・年末年始・GW


こんな感じだ。
正社員になるとうむを言わさずあちこちに飛ばされると思う。
雪が1mも積もっている状態から発掘しろなんて話も耳にした。
作業内容については次の章で説明したいと思う。

では。
遺跡生活を順に書いていきます。

聖蹟桜ヶ丘あたり編


平成13年3月に専門学校を卒業して、プログラマーを1ヶ月で挫折し、さらに1ヶ月がたったころ、私は遺跡発掘のアルバイトを求人誌で見つけた。

私は遺跡発掘とは無縁の生活を送っていた。
私は社会や地理、歴史は全部成績が悪く、年代等も全然頭に入っていないような人間だ。
しかし昔は地質学や天文学(っていうとかっこいいなw)に興味があり、学校の社会科見学の時に行った「恐竜発掘」の授業で出た化石を、今でも持っている。

そんなわけでこのアルバイトを見つけた時、「面白そうだな」と思ってとにかく応募してみたのだ。
結果は採用で、次の日から晴れて遺跡発掘作業員になった。
上の写真とは別の会社だ。

今思うとその発掘現場はとてもマッタリしていて、お年寄りばかりでした。
若いのは私だけ状態。
場所は東京の聖蹟桜ヶ丘あたりです。

主に私がしていた事は、地面を掘る事。
弥生、縄文よりさらに下の土、つまり石器時代の土を掘る事だ。
他には遺構(なんかの穴、つまり柱が立った後や、落とし穴)を掘ったりした。
遺構の詳しい説明は先の章で説明します。
発掘の人数は30人くらいだった。

バイトは現場に直行直帰で、現地に立てたプレハブ小屋の中で着替える。
もちろん着替えるスペースは男女で分かれている。
長袖長ズボンを着て、帽子をかぶり、軍手をする。大体そんなスタイルだ。

その現場は5月から11月までの6ヶ月間で終わった。
現場の解散とともにバイトの契約も終了。
また無職になった…。



府中編

その後6ヶ月間無職だった。
これは悪い見本だ。真似しないでくれ。

そしてまた求人誌に遺跡発掘のバイトを見つける。
すぐに飛びついた。
この現場こそ写真の府中の現場だ。
発掘人数は60人くらいいた。
もっといたかもしれない。
非常に活発な現場でここでは残業1時間あり、なおかつ土曜日もあった。

ここの現場から図面なども書いていく事になる。
レベルと呼ばれる高さを測る装置と、光波と呼ばれる距離を測る装置も使う。
詳しくは「2.遺跡発掘の作業」のほうに書きます。

この現場でもそうですが、未だに何時代の調査なのか良くわかっていない。
府中だから多分飛鳥時代の大化の改新(645年)から平安時代くらいだと思うんですががが。
いいかげんでスイマセン(´へ`;)
竪穴式住居の焼け跡から、字の書いてある皿とかが出土した。
そこは読売新聞の地域ページに載りましたヽ(´Д`)ノ
住居あともごろごろ出た。大きい建物の跡なんかも出た。

この現場はやはり5月から11月までの6ヶ月間で終了。
隣接している現場に移動になった。
その現場は2ヶ月くらいだな。
合計8ヶ月かな?
長いです。遺跡の世界では多分これだけ同じ現場にいるのは珍しいんだと思う。



国立編

国立の現場は1ヶ月で終わった。
府中でのメンバーに再会したり。
人数は20人くらい。

雪が降って大変だった。
朝現場行く→雪降ってくる→帰る
なんて事もあったなー。
終わりに近くなると、一般の人に開放して見学会をやったんです。
近くの幼稚園生も来たりした。

最終日はプレハブ小屋も撤去されて、なんもない所で着替えたんだ。
通行人が通ったら…、というか幼稚園生に見られたような?
女性陣は前日に他の現場へ移動してました。安心してくださいw



国分寺編

ここが最後の現場になった。

期間は2ヶ月くらいかな?
最初来た時はあまりにも深く掘っているので驚いた憶えが。
あれは落っこちて頭打ったら病院だな…。
足を滑らせなくて良かった。

ここでも府中や国立のメンバーに再会。

この現場も結構人数多かった。
40人くらいいたかもしらん。


この現場を最後に足を洗いました。
理由は…なんか疲れてしまったからです。情けない。
肉体的にもつらい。腰がちょっと悪くなりました。
現場がすぐに変わるのにも慣れる事ができませんでした。
ようはただのヘタレです。
この世界ははまって抜けられない人も沢山いるという。
気をつけないと。



遺跡生活たったの2年(にも満たない)が、そこで体験した事を書いていきたいと思う。
次回は「2.遺跡発掘の作業」について書きたいと思う。